2017年09月27日

喪失感と空虚感

 日経の日曜版で「ひらめきブックスレビュー」に紹介されている『定年後』(楠木信著)の書評。ビジネスパーソンが必ず迎える定年後の日常を氏のエピソードを交え、その後の人生をどう生きるべきかを提起している。
「誰からも名前を呼ばれなくなる!?」現役で仕事をしていると、当たり前のように名前や役職で呼ばれるが、退職すると名前を呼ばれる機会が激減するという。そのことによる疎外感、孤立感、空虚感はしみじみ堪えたそうだ。
 2冊目は『OPTION B』(シェリル・サンドバーク他著)、「第2の選択肢」という意味だ。内容は、最愛の夫の喪失体験と再生までのストーリーである。今更ながらネットで「喪失感」の意味を調べてみると、<自分の愛情・深い愛着の対象となっている「大切なもの」を失った時(または失ったと思った時)に感じる苦痛や空虚感を言う>とある。
 ここ数年のことで言えば、東日本大震災や福島原発、熊本地震等々の大災害で多くの方々が亡くなったり、実家や故郷を失ったり、多く有形無形の記録等々を失った方々の苦しみは、創造しがたいものがある。
 恐らくほとんどの方々が程度の差はあれ、近い体験していることだと思うが・・・・。思いが深ければ深いほど、あるいはまた日常存在して当たり前だった感が強ければ強いほど、失うことで過度な喪失感や空虚感にとらわれるものだと思う。心の中にぽっかり穴が開くように・・・・。
 10年ほど前、作家の城山三郎が伴侶をなくしたころのエッセー「そうか、もう君はいないのか」を読んだ時に感じたことや文芸評論家の江藤淳の死に至るまでのことを思うと、おそらく私自身は、決して耐えうるまいと思っている。
 蛇足になるが、半世紀前に夭逝した大宅歩(大宅壮一の長男)が残した『詩と反逆と死』という日誌風エッセーは、10代に出会った書の中で、記憶に残っている1冊だ。
 
posted by あうる at 07:47| Comment(0) | 出会い

2017年09月24日

時間は戻らない。

 豪栄道が本割、優勝決定戦と負けてしまった。相撲ファンとして「がっくり!」している。数日前の<戻ることができない一瞬>を思い起こしながら、悔しくて、悲しくて、泣きたくて「あの時、勝っていれば・・・・」と、ついつい時間を戻してほしいと思う。  
 相撲を見ながら「あの時という時が存在したなら・・・・」。そんな馬鹿なことを取り留めもなく考えてしまうこと自体、私自身かなり焼きが回っているのかもしれない。
 つまり麻雀でよく言われる「あの時振り込まなければ、トップだったのに・・・・」との慣用的なフレーズは、今現在を否定することになるという自明の事実。いまだかって過去と未来は、目の前に存在したことがないことを思えば、時間を止めることも過去を修正することもできないことは、当然のことなのだが・・・・。
 悔しさや悲しみは、時として怒りの感情に変わったりすることはよくあることだが、本当の意味でそのことを実感している人は、当事者なのであろうが・・・・、でも、やっぱし私は悔しいね。

posted by あうる at 18:43| Comment(0) | 来し方行く末

2017年09月16日

自問自答!?

 最近、様々な情報が私の中に飛び込んでくると、ついついその情報が引き金になって、自分を含め、私を取り巻く人たちの「来し方行く末」を思い巡らす。その結果、思い過ごしかもしれないが、それぞれの人がそれぞれの事情を抱え、思うようにならない日々を送っているとの思いを一層強くする。
 老化現象というには、少々自虐的過ぎるし、当然至極といえばそれまでだが・・・・。ゴールがぼんやりして見えない時と、明確に見え始めてきた時とでは、こうも見る視点が変わってくるものなのか・・・・と思ったりもする。
 かつての皮相に流れていた自分の視界を愚かしく思ったりするが、年相応に出会いと別れを繰り返しているうちに、そのプロセスの中で誰もが気づかされることなのかもしれない。と半ば自己肯定する。そうでもしなければ、私自身が前向きになれないからだろう。
 何か妙にまどろっこしい言い方になってしまったが、ひょっとしたら悔いの残らない選択など存在せず、時折自省的に「はたして自分にとって最も面倒で辛く思える選択をしてきたのだろうか・・・・」と自問自答することで、かろうじて納得の日々を送れているのかもしれない。
 
 
posted by あうる at 10:33| Comment(0) | 来し方行く末