2018年04月12日

どんな老後がいいのか!?

 「どんな老後がいいのか・・・・。」人それぞれであるが、個人的には年代によってもかなり変化してきているようだ。40代後半のころ、会社を経営していた友人たちの多くは、60歳で仕事を辞め、海外に移住すると言っていたものもいれば、趣味三昧で老後を楽しむ、晴耕雨読でのんびり過ごす等々、還暦以降も働き続けるというものは、私の周辺で意外とは少なかったのだが・・・・。
 その後20年経ち、どうなったかというと、友人たちのほとんどはいまだに仕事に関わっている。1990年代はバブル崩壊(1991年)後も依然として地方では右肩上がりの余韻が続く。そして21世紀はデフレ不況の幕開けとなった。一気にあらゆる市場が縮小し始めた。
 最近、ようやく後継者が育ちはじめ、仕事を退き始めたものもいるが、統計によると道内企業の74%は後継者がいないとのことである。「老後を楽しむ。」という熟年の定番だったキャッチ・フレーズは何処へ行ってしまったのか・・・・。年金支給の先延ばしや厚生年金基金の崩壊等々、特に団塊の世代の高齢化の伴う就労・引退は生産年齢人口に大きな影響を与え始めたのだろう。
 さて、我々団塊は「どんな老後を送るべきなのか・・・・」。ここ数年の生産年齢人口の急激な減少は、働き方の問題、定年延長、年金需給の先送り等々にとどまらず、AIや自動運転等の分野にも急成長をもたらしている。とは言え、やはりこの国は老若男女総動員で働かなければ、豊かで、ゆとりある生活は、成り立たないのだろうか・・・・。
posted by あうる at 17:07| Comment(0) | 事件

2018年03月22日

不思議な未来社会(?)

 ユーチューバーのヒカキンといえば、40歳以下の方で知らない人はいないと思うが、先日、私は初めてその人物を含めて、ユーチューバー(プロのユーチューブ製作者)やプロゲーマー(格闘ゲームで賞金を稼ぐ人)とやらの生活の一部をテレビ番組で垣間見た。どうやら東大卒の方もおられるようだ。今や子供たちの将来就きたい職業の1位と2位であるそうだ。まったくもって驚きだ。
 子供のころから好きで日々楽しんでいることが職業として成り立つのだから、趣味や遊びの延長上に収入があり、生活できるのであれば、将来仕事としたいと思う子供が出てくるのは、当然と言えは当然である。芸人を目指す若者たちや、サッカーや野球のプロ選手になりたいと思う子供たちと、新種の職業というだけで何ら変わりないのだろうと思う。勿論、どの道を選ぶにせよ、成功するには才能や特別の努力が必要だとは思うが・・・・。
 いずれにしても、21世紀に入り、職業的には多様な選択肢が広がり、個々の生き方も様々だ。男女の役割や仕事の形態等々、最近、話題になっている<ライフワークバランス>という言葉の真意とその実体を含め、我々中小・零細企業の立場で、今一度、考えてみる必要はある。
 所謂「蓼食う虫も好き好き」という諺は、英語では「There is no accounting for tastes.」と言い、「人の好みは説明がつかない。」という意味だ。ブランド志向の人、全く関心がない人、車やゴルフ、本に関心ある人、ない人、結婚やマイホームを望まない人等々、個々それぞれ様々な嗜好があり、それが価値観という言葉に置き換えられて、個々それぞれ認め合いながら共存してゆくという不思議な未来社会(?)になりつつある。ある意味でスモール・コミュニティー社会とでもいうべきか・・・・。
 果たしてそういう未来が確固たる社会になるかどうかは分からないが、1970〜1990年代、2000〜2010年代、2010年以降から現在を比べても、まるで<流行り廃り>(?)のように異なる倫理観・価値観が出没している。
 米大統領戦以来、フェイク・ニュースがグローバルには横行し、トレンド化している。マスコミやSNS等々の報道だけでは、客観的な事実(真実)は分からない。デジタル化が加速し、AIが進化する少子高齢化社会の行きつく先には、いい意味での成熟した社会(利他主義社会)が訪れているだろうか・・・・。 
posted by あうる at 11:13| Comment(0) | 事件

2018年03月10日

春にとりとめもなく思う。

 昨夜までの暴風雨を受け、東北、北海道では水の被害が出ている。被災された地域の方々には、心からお気の毒に思う。
 雨ですっかり洗い流された道端の雪。今日の札幌は打って変わって春の日差しで溢れている。残雪で汚れた道路が少しづつ回復し、春は間近い。懐かしい思い出話をふたつほど・・・・。 
 姉の影響で3〜4歳のころ絵を習っていたことがある。私の記憶では東本願寺の境内に教室があった。その後、小学生のころまでは、よく絵をかいていたが、中学以降はさっぱり描かなくなった。
 もう一人の姉とは、小学校に上がる前から一緒に唱歌を唄っていた。たまたま小学4年生頃から女性の担任の先生の影響で、何かにつけて歌う機会が与えられた。当時の私は、所謂ボーイソプラノだったようだ。
 その頃よく唄っていた歌は、「荒城の月」「海」「砂山」等々、当時の日本の代表的な唱歌だった。小学5年生のころ、「♬ 松原遠く 消ゆるところ・・・・」が歌い出しの『海(うみ)』を唄い、NHK番組「声くらべ、腕くらべ、子供音楽祭」という番組に学校の推薦で出場したことがある。鐘は3つだった。ラジオにもテレビにも生で出たのだが、残念なことにビデオもない時代なので私自身は観ても聴いてもいない。
 ずいぶん昔の話になるが、私が30代のころNHKの番組用ポスターを制作させていただいたことがある。その番組担当であるTディレクターに、私が小学生のころ出演せいていただいた観ても子供番組の話をしたことがある。偶然なことにそのTさんが、「声くらべ、腕くらべ、子供音楽祭」の担当ディレクターだったことを知り驚いた。翌日そのテープが残っているかを調べてくれたが、残念なことに前年に廃棄されていた。
 
 
 
 
 
posted by あうる at 14:09| Comment(0) | 事件