上京した際に何度か会っていた同世代の仲間もいるが、40数年ぶりに会う後輩もおり、当時を思い起こすと妙に感慨めいたものが込み上げてくる。同世代で早くに亡くなった方々が4〜5人はいる。当日来られた多くは麻雀ジャーナリズムの世界に身を置き、日本最大の連盟組織(競技麻雀)の中心にいる伊藤優孝氏、独自の視点で健康麻雀協会を興し、出版物・ゲームソフト等々で100点を超えている東大出身の井出洋介氏らも集まってくれた。忙しい時間を割いて来ていただいただけに、ありがたい。
思えば、’60年代後半に「麻雀放浪記」でおなじみの麻雀の神様・阿左田哲也氏(後の直木賞作家)がの麻雀新選組を結成。小島武夫・古川凱章・田村光明・青柳賢治らのメンバーが加わり、’70年代に向けて「近代麻雀」という雑誌を取り巻く麻雀ジャーナリズムの世界を盛り上げていった麻雀新選組は、所謂あの時代のエポックメーカーだったことは言うまでもない。あの頃からすでに半世紀すぎてしまったのだ。今振り返っても夢の間の出来事だ。
当時28歳で、新宿ナンバーワンの麻雀の打ち手として週刊誌のブラビアに紹介されたタミーラこと、田村光明氏以外の麻雀新選組のメンバー4名は皆故人となった。私にとって田村氏は大学の先輩というだけではなく、当時「覇道より王道(孟子)」という言葉の意味を教えてくれた方で、その貴重な言葉を今でも私の座右の銘としている。’70年代は個人的には、物心両面で大変お世話になった方である。彼の書いた「麻雀ブルース」はベストセラーとなり、私を含めて当時の鬱屈した若者たちの心をつかんだ。
さて、’70年代半ばに久保谷氏が中心となり結成した「渋谷若獅子戦」は、間違いなくその後の若手台頭に大きな役割を果たしたと思う。今回、参加された井出氏は東大の学生だったし、現在井出氏と行動を共にする高見沢氏は、日大生。岡田氏は早稲田の学生だった。そのほかにも多種多様な方々が参加していた。
いづれにしても、今回会うキッカケを作ってくれた久保谷氏からの1通のメールに感謝したい。機会あれば、今回会ったメンバーは勿論、都合がつかず来れなかった方々を含め、渋谷並木橋の一時代を共有した仲間として、お互い元気なうちに再会したいものだ。