2019年02月11日

渋谷並木橋は半世紀たった今も生きている。(2)

 待ち合わせの17:30少し前に見覚えのある顔がぽつらぽつらと現れ始めた。かつて久保谷寛氏が中心になって渋谷並木橋の東々(トントン)という麻雀荘で「渋谷若獅子戦」という競技麻雀のリーグ戦を結成し、プロを目指す若手を集めたころのメンバーたちだ。
 上京した際に何度か会っていた同世代の仲間もいるが、40数年ぶりに会う後輩もおり、当時を思い起こすと妙に感慨めいたものが込み上げてくる。同世代で早くに亡くなった方々が4〜5人はいる。当日来られた多くは麻雀ジャーナリズムの世界に身を置き、日本最大の連盟組織(競技麻雀)の中心にいる伊藤優孝氏、独自の視点で健康麻雀協会を興し、出版物・ゲームソフト等々で100点を超えている東大出身の井出洋介氏らも集まってくれた。忙しい時間を割いて来ていただいただけに、ありがたい。
 思えば、’60年代後半に「麻雀放浪記」でおなじみの麻雀の神様・阿左田哲也氏(後の直木賞作家)がの麻雀新選組を結成。小島武夫・古川凱章・田村光明・青柳賢治らのメンバーが加わり、’70年代に向けて「近代麻雀」という雑誌を取り巻く麻雀ジャーナリズムの世界を盛り上げていった麻雀新選組は、所謂あの時代のエポックメーカーだったことは言うまでもない。あの頃からすでに半世紀すぎてしまったのだ。今振り返っても夢の間の出来事だ。
 当時28歳で、新宿ナンバーワンの麻雀の打ち手として週刊誌のブラビアに紹介されたタミーラこと、田村光明氏以外の麻雀新選組のメンバー4名は皆故人となった。私にとって田村氏は大学の先輩というだけではなく、当時「覇道より王道(孟子)」という言葉の意味を教えてくれた方で、その貴重な言葉を今でも私の座右の銘としている。’70年代は個人的には、物心両面で大変お世話になった方である。彼の書いた「麻雀ブルース」はベストセラーとなり、私を含めて当時の鬱屈した若者たちの心をつかんだ。
 さて、’70年代半ばに久保谷氏が中心となり結成した「渋谷若獅子戦」は、間違いなくその後の若手台頭に大きな役割を果たしたと思う。今回、参加された井出氏は東大の学生だったし、現在井出氏と行動を共にする高見沢氏は、日大生。岡田氏は早稲田の学生だった。そのほかにも多種多様な方々が参加していた。
 いづれにしても、今回会うキッカケを作ってくれた久保谷氏からの1通のメールに感謝したい。機会あれば、今回会ったメンバーは勿論、都合がつかず来れなかった方々を含め、渋谷並木橋の一時代を共有した仲間として、お互い元気なうちに再会したいものだ。

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posted by あうる at 16:12| Comment(0) | '70年代

2019年02月09日

渋谷並木橋は半世紀を経た今も生きている。(1)

 今年に入り、東京に行く機会があり、わが青春の思い出の地――渋谷並木橋――で50年近く前に知り合った友人たち11名と会う機会をもった。待ち合わせ場所は、並木橋交差点の旧パールライト(レストラン)前。1時間前に渋谷東口方面に歩き出し、ようやく左手に渋谷警察風な建物が私の目に入り、あとは明治通りを一直線、恵比寿方向に向かって歩き始めた。
 6年ぶりの渋谷東口は、全くその面影もなく、明治通り周辺は、みごとに変貌していた。1年後に控えたオリンピックに向け急ピッチでインフラ等々の工事が進んでいるのだろうか・・・・。思えば、50年前の渋谷の街は、はどこもかしこも工事中、そんな右肩上がりの時代だった。
 かつて店を構えていた明治通り沿いの街並みを思い出しながら、この辺にアマンドがあり、雀荘みやこがあった等々を思い出す。道路を挟んで向かい側には寺山修司のアングラ劇団・天井桟敷(B1)があり、1階は喫茶店になっていた。確か寺山修司の母親がエプロン姿で切り盛りしていたと思う。すぐ裏手に渋谷場外馬券場(現WINS)があり、土・日は渋谷の一大ギャンブルゾーンとして名を馳せていた地域だ。今は中高層のビル群が櫛比している。
 15分ほど歩くと並木橋の交差点に差し掛かる。信号を左折して明治通りを横切り、待ち合わせの旧パールライトの店の前に到着。その隣にある黒塗り(2階まで)の4階建ての小さなビルの地下1階に、私が若いころ通い詰めた「赤とんぼ」という伝説のスナック風小料理屋があった。勿論、経営者のSさんは当時50歳近かったから、今生きておられれば90代。大学の先輩でもあり、私の含め先輩同窓生の常連がおり、時には厳しくお説教を食らっていた。勿論私も・・・・。
 私が赤とんぼに通い始める少し前は、売れない頃のカルメンマキやリリーが毎晩来ていたという。酒で声がつぶれたのも赤とんぼで飲みすぎたせいだとか・・・・。事実のほどは知らない。とにかく、もち入りのうどんが格別に旨かった。
 待ち合わせの17:30までに30分近く時間があり、ウインズの裏側にある金王神社へ参拝。歴史のある神社だが、当時全く目が向かなかった。しばらく散策しながら、かつて私が住んでいた周辺まで足を運ぶ。全く面影はない。
 左端の黒い建物が、地下に「赤とんぼ」があったビル。待ち合わせの旧パールライトはその隣。(続く)


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posted by あうる at 15:21| Comment(0) | '70年代

2018年10月22日

半世紀振りに聴いた岡林のライブ。

 日本の<フォークの神様>と言えば岡林信康。'70年代半ばを最後に表舞台から姿を消し、田舎で農業をやったり、小ライブをやっているとの噂を耳にしていたが・・・・・。音楽的にも紆余曲折を経て、このところ古希(現在72歳)にして音楽活動を積極的に行っている。
 今年に入って盟友、遠藤健司・加川良等々、親しい友人が12人亡くなったとのこと。私の周りでも頻発している現象だ。実は、昨日道新ホールで岡林のコンサートを聴きに行ってきた。場内は70歳前後の熟年の男性が7割、女性は2割、60以下の世代が1割というところ。ギター1本と途中からピアニストが参加という地味なセッティング。。
 開口一番、観客に向かって「沢田研二です。」と言って大爆笑を取る余裕を見せる。最初にうたった曲は、遠藤健司が世界の名曲ベストテンに入るといった「チューリップのアップリケ」アレンジされて昔のイメージとは若干違うが、何とも切なく胸にしみわたり、その後、「流れ者」「山谷ブルース」と初期の代表作に至ると会場の拍手はピークに達する。
 当時、私は20歳前後で、多くの影響を受けたアーティストの一人なので、会場入りと同時にCDを買い、その後席に着いてからジャケットを見ていると、隣の席の同年代の方が話しかけてくる。ついつい’70年代にタイムスリップ。久しぶりにほろ苦く懐かしい時代を思い出した2時間だった。
 
posted by あうる at 12:00| Comment(0) | '70年代