2018年01月06日

星野監督、ありがとうね!

 星野仙一氏が亡くなった。六大学からの盟友、田淵幸一氏がインタビューで直前まで携帯で話をしていたと語っていた。田淵幸一・山本浩二・富田勝といえば法政の三羽烏。同世代の明治には星野仙一がいた。昭和44年、団塊の世代の代表的な六大学のスターからプロへスカウトされて成功した花形選手たちだ。
 特に田淵選手は長嶋の六大学ホームラン記録(12本)を更新して22本の記録を打ち立てたということで、当時大変な話題を呼んだ。所謂、典型的なホームランバッターだった。
 引退してからの監督としての実績は、山本監督や星野監督に比べ今一つ。その後、圧倒的な監督としての実績を残したのは、星野仙一氏であろう。野村監督が基礎を築いた楽天を東日本大震災直後にリーグ優勝、日本一へと導いた。早くに奥様を亡くし、寂しい時期を乗り越えて輝かしい監督としての実績を残したが、不思議な巡り合せである。
 奥様が亡くなったのが1997年。監督、50歳の時である。田淵氏のインタビューに答える沈痛な面持ちは、同志を失った言葉にできない寂しさがにじみ出ていたのが印象的だった。
 星野仙一氏のご冥福をお祈りしたい。星野監督、ありがとうね!   合掌。
 
 
posted by あうる at 21:14| Comment(0) | 冠婚葬祭

2017年03月27日

彷徨える遺骨!?

 最近「無葬社会」という言葉を耳にする。先日、日経で「無葬社会」についての特集が組まれており、関連の本も多数出ている。少子高齢化が益々明確になり始め、あと10年以内に多死の時代を迎えるというのだ。したがって葬儀の仕方も墓の在り方も全く変わってくるようだ。
 誰もが仏様を粗末にしたいとは思っていないであろうが、都会での一人暮らしの高齢者の中には地縁・血縁のないまま、死を迎える人が少なくない。その数、2030年には2700万人に達するだろうと言われている。
 現実問題として「火葬待ち」「遺骨の行方」についても、しかるべきところでは処理できない状態になっているという。加えて業者頼みの簡略化された葬儀が、血縁を弔うことの希薄さにますます拍車をかける。決して死を軽々しく思っているわけではないと思うが、それなりの葬儀の手続きを踏むとなると、時間もお金もかかる。
 将来の不安にさいなまれる世代にとっては、葬儀代や墓を建て維持することは、大きな負担である。かつては身内の葬送や一族の墓守は、当たり前のように長男がその役割の多くをこなしてきたが、少子化と更なる高齢化でひと家族にかかる負担が大きくなってきた。
 東日本大震災以来、地縁・血縁の絆がかなり問題視され、地域における絆回復の兆しも見え始める一方で、都会の水面下では猛スピードで高齢化が始まり、骨壺が電車の荷台に置きに忘れ去られたように放置されたり、引越しした人の押し入れの中から骨壺が出てきたり、行き場の失った遺骨が彷徨い始めているのだ。
posted by あうる at 17:27| Comment(0) | 冠婚葬祭

2013年04月14日

蘇るある光景。

 先日、10年近く入退院を繰り返されていたIさんが亡くなった。かつて3代にわたり製本業をやっておられ、弊社としても私個人的にも大変お世話になった方だ。一時は病状が悪化していたが、ご家族の手厚い看護のもと厳しい時期をのり越え、最近は小康状態を保っていると聞いていた。あまりに急なご逝去となり、ご家族の悲しみは、計り知れない。
 長く患っていたとはいえ、ご自宅に戻る機会も多々あったという。ご家族の落胆ぶりを拝見すると、女性が多いご家族で大黒柱であるご主人の存在はとてつもなく大きかったのだと思う。葬儀での最後の挨拶で、奥さま、お嬢様、ご主人のお母様が祭壇の前に並び、一礼されておられたお姿お見て、25年ほど前のある光景を思い起こさずにはいられない。
 私はKさんと一緒にある地方都市の「市史」の納期を間に合わせるため、夕方からIさんの製本会社に出向き、夜通し製本の手伝いをしたことがある。そのとき、朝まで一緒に作業したメンバーがIさんと祭壇の前に立っておられるそのご家族だった。思えば、幾度となく足を運び、無理なお願いをし、納品の危機を切り抜けてきたのが印刷最終工程である製本だった。
 「画竜点睛」と云う言葉があるが、製本工程が書籍印刷物の出来の善し悪しを決めるまさに「点睛を入れる」重要な作業工程であることは間違いあるまい。
 25年前中西出版の創設時にご尽力いただき、またその後多くに書籍を世に送り出していただいたことに、あらためて黄泉の世界に旅立たれたIさんにお礼お申し上げたい。合掌――。
posted by あうる at 10:10| Comment(0) | 冠婚葬祭