2019年05月24日

徒然に・・・・。

 あれよあれよと云う間に時は容赦なく過ぎてゆきます。松尾芭蕉の奥の細道の冒頭に「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」という言葉を思い出しました。人生を旅人にたとえた擬人的な表現です。解説を紐解くと、の「月日は、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。」とのことです。
 旅から旅へと日々過ごしていた「俳聖」芭蕉のにとって、俳人として各地を行脚することで得た<人の情けや哀れさ>を真摯に受け止め、更に名句が生み出されます。
 俳句を芸術の域まで高めていった大きな要因は、芭蕉自身が虚心坦懐に「悟り境地」達していたのではないかと思います。その後、芭蕉に勝るとも劣らない俳人で画家の蕪村、明治に入り、子規、虚子と俳句は受け継がれてゆきます。
 虚子の時代に桑原武夫によって書かれた論文。岩波書店の雑誌『世界』1946年11月号に掲載された「第二芸術論」の中で、俳句は「第二芸術」とまで扱き下ろされました。当時の虚子を中心とする俳人たちは、真っ向からの反論らしき反論もしないまま、単なる趣味、習い事のような評価をされたそうですが、大変残念に思います。 
 「散る桜 残る桜も 散る桜」と「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」この二つの句は、江戸時代の良寛和尚の辞世の句と言われておりますが、僅か17文字に、人生のはかなさとせつなさ、それ故に潔さの美を感じさせてくれます。
 論文が書かれるまでの経緯等々の詳細は、ネット上の知識しかないので、時期を見て当時の大論争を読んでみたいと思います。それにしても矢のような速さで過ぎてゆく日々は、日増しに実感するばかりです。 
posted by あうる at 09:42| Comment(0) | 芸術・文化

2019年05月16日

偉大な作家の残したものは・・・・。

 狐狸庵の雅号を持つ故遠藤周作。そのグループは近藤啓太郎・安岡正太郎・阿川弘之・小島信夫・吉行淳之介・三浦朱門・曽野綾子他とともに第3の新人と言われた作家たちだ。彼らのほとんどは、芥川賞を受賞していおり、世代も近いせいか、実に仲の良い作家たちとの印象が深い。そのせいか交友録のエッセイの中に彼らの子供たちが実名ででいる場合もあり、その中でたまたま記憶していた遠藤周作のご子息が、今日の日経にフジテレビの社長に就任とあった。お名前は遠藤龍之介氏(62歳)である。
 阿川弘之の令嬢・阿川佐知子さんはエッセイスト兼タレント。まだまだ私が知らないだけで、社会で活躍しているお子さんたちは多いと思うが、吾が年を思えば、子供さんたちは当然それなりの年齢になっているわけだ。多くは親とは別の道を歩んでいるのであろうが・・・・。
 斎藤茂吉→斎藤茂太(長男)・北杜夫(二男)→斎藤由香(北杜夫の長女)は親子3代。古いところでは、幸田露伴・幸田文、森鴎外・森茉莉。そのほか、太宰治と津島佑子・太田治子、吉本隆明とよしもとばなな,福永武彦と池澤夏樹等々、ネットで調べてみると結構いるもんですねェー。

 
posted by あうる at 13:24| Comment(0) | 芸術・文化

2018年10月07日

「札幌市民交流プラザ」開館!

 [札幌市民交流プラザ」の開館記念式典に出席させていただた。式典は札幌文化芸術劇場(hitaru)で行われた。収容人数は2302名とオペラ・バレー・あらゆるコンサートに対応できるマルチ劇場だ。これからのスケジュールも目白押しで、中段から見上げたスケールは宇宙感覚だった。
 式典では市長に続き、高校同期の山田市議長(全国の市議長でもある)が来賓の挨拶。式典終了後、各施設を見学したが、ほとんど知っている方に会えず、その後の祝賀会で持て余すようであれば、早めに退散しょうと思っていた。
 ところが立食の祝賀会が始まると、仕事でつながっている女子大のS先生に声をかけられ、それを機に図書館関係者、演劇関係者等々と続々とと出会うことになり、新たな方々をご紹介していただいたり、結局少しも退屈することもなく2時間近く楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 さて、私が関わる1階・2階の札幌情報館がどのように機能しているか・・・・。しばらく通い実態をの把握をしてみたいと思っている。本の貸し出しは一切せず、館内で用を済ませるわけだから、活発なレファレンス機能も活用できるのであろう。一見無駄では・・・・と思える遊び空間や今まで見たこともない広いフロア―が、随所に設けられており、実際人が集まり、その動線がどうなっていくか・・・・、楽しみである。
 
posted by あうる at 11:09| Comment(0) | 芸術・文化