弊社が電子書籍に関わるきっかけになった経緯と、その後、どんな変化をもたらしたかを記してみたいと思う。話は、'90年代後半の東京ビッグサイト(東京国際展示場)で開催された「東京国際ブックフェア」を見学したころに遡る。4万人近く集客した会場には、すでに電子書籍のリーダーである日本製のディバイス展示コーナーがあった。当時の日本は、他国に先駆けて電子書籍リーダーのディバイス開発が進んでいたと思う。
そのころはまだ青空文庫(著作権が切れた漱石・鴎外・龍之介等の古典文学)を中心にソニー、パナソニック、東芝等々の電器メーカー作ったディバイスやパソコン上で電子書籍を読むことができた。が、会場では、ほとんど関心がもたれなかった。したがって2000年代には、メーカー側が電子書籍に対する将来性に期待しなくなったのか、画期的なディバイスは開発されなかったようだ。
そもそも日本における電子書籍は、多くの出版社から快く受け入れてもらえなかったというのが正直なところである。’90年代までの出版業界は右肩上がりできたため、編集者の多くは電子書籍など歯牙にもかけなかったのだろうと思う。しかし、予想をはるかの超えるスピードで、デジタル技術の躍進が進み、様々な分野で革命的な変革をもたらしてゆくことになる。
’90年代後半にWindows95が出現し、ITの普及が始まる。2000年代に入り、携帯保有率が上がり、PPCでWindowsが広く活用されるにつれ、「読書離れ、ペーパレス」が囁かれ、出版マーケットは急激に陰りが見え始める。その後、グーグルによる本のスキャン問題が表面化し、海外と日本との著作権のに対する考え方の違いが明確になり、デジタル化によって著作権問題は様々な分野で問題提起がなされたと言える。技術革新のスピードがドッグ・イヤー(犬の年齢が人間の4年に相当)と言われたころである。
2010年、日本でアップル社のアイパッドが販売されるや否や、電子書籍の話題は一気に加速し始めた。岩崎夏海著「もしドラ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネージメント』を読んだら」)が爆発的な話題を呼ぶ。当時たまたまネットで、私の目に留まった集英社の「もしドラ」担当者のセミナーを東京まで聴きに行かなかったら、私自身の電子書籍への関心はそう高くならなかったかもしれない。そのセミナーには、初代ボイジャーの社長も演者として来ておられたと記憶する。
正にこの2010年こそが、「電子書籍元年」と呼ばれたエポックメーキング年であり、マスメディアでは幕末の「黒船来航」に例えられ、それまで紙媒体中心だった出版社・新聞社等にとって衝撃的な年でもあった。ある意味で、日本は電子書籍に対する最初の食いつきは早かったが、マーケットを見いだせず、結果、アマゾンやアップル等に先を越されてしまった感がある。
4月にセミナーを聴き、6月にはモバイル・コンテンツを制作している友人から、弊社の絵本「おばけのマールとまるやまどうぶつえん」を電子書籍として共同開発しようとの連絡をいただいた。勿論、二つ返事でOK。その後は、相手の製作者とコンテンツを保有する弊社の原作者とイラストレーターらが、何度も打ち合わせを繰り返し、9月に2か国語で、動物の鳴き声や動く仕掛けもあるナレーション(2か国語)入りの所謂、リッチコンテンツの電子絵本として世界に向け発信することになる。
今思えば、偶然が重なったとはいえ、道内初の「電子書籍の誕生」である。マスメディア等で大きく取り上げられ、弊社の出版の方向づけにも大きな影響を与えた出来事だった。その後、2011年には、札幌の出版社4社の協力を得て電子書籍ネットストアー「ブック・ネット北海道」を立ち上げることになる。
2021年10月15日
電子書籍を追いかけて@
posted by あうる at 15:37| Comment(0)
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