2021年06月09日

コロナ後、新たな時代へ。

 コロナ禍で再認識させられた様々な問題。働き方改革の中で問われてきた「リアル・ライブ」がいいか、「デジタル・ネット」がいいかは、ケースバイケースだと思うが、コロナ禍ですっかり定着してしまった「三密」「ソーシャル・ディスタンス」というキーワードは、あらゆる商売(ビジネス)の形態を変えてしまった感もある。中には商売の存在理由まで問われ、苦悶の果てに店仕舞いする経営者(個人事業主に多いと思われる)がおられたり、コロナ後の時代に合ったビジネスとして新たな企業が出現したり、既存の企業の中にもにわかに業績を伸ばしたりするところもあるようだ。
 いずれにしても国の政策として最初に打ち出された「緊急事態宣言」。<不要不急の外出自粛>と<接待に絡む夜の飲食店の営業自粛>については、様々な波紋を引き起こした。自粛生活を促すことは、あらゆる経済活動の停滞を意味する。結果、あっちを立てれば、こっちが立たずの両立が難しいトレードオフの状況を作り出すことになった。
 寄せては返す感染者の増減に翻弄されながら、国は第3波感染者拡大を機に3度目の「緊急事態宣言」を発する。そもそも日本と欧米とは、歴史的な観点から様々な価値観の違いがある。欧米では、芸術・文化・教育・スポーツ等々の文化財的な消費は、生きるうえで必要欠くべからざるものとして受け入れられている。
 日本はコロナ禍のリーダーの発言を聞いている限り、物質的な消費が優先され、芸術文化等々は後回しという基本的な考え方が露呈したようだ。芸術文化等々は、日本のリーダーたちにとって、あくまでの生きるうえで2次的なものなのだろう。
 日本では「生きるためにサッカーは、必要ないんだ!」ということを再認識したと、ある日本代表のサッカー選手は、真顔で且つ、シニカルに言っていたことを思い出す。
 今回のコロナ禍で世界のリーダーが発する国民に対する声明の中で最も注目されたのは、ドイツのメルケル首相のスピーチである。メルケル首相の言葉の中にある「啓蒙の思想」を重視する内容が世界各国から賞賛された。さすがゲーテを生んだ国である。芸術文化等々は、当事者にとって「命」と同じくらい大事なものであるという事実を、我々は今一度、コロナ下での様々な論議から汲み取るらなくてはならないと思うのだが・・・・。
posted by あうる at 09:40| Comment(0) | 芸術・文化
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