2022年01月24日

社長の雑記帳

posted by あうる at 19:01| Comment(0) | 来し方行く末

2022年01月23日

明日は分からない。

 人生何が起こるか分からないことを称して、諺では「禍福は糾える縄の如し」とか「人間万事塞翁が馬」「五里霧中」等々、様々な例えを以って表現している。天下のドラッカーに言わせると、『未来について分かることは、「未来は分からない」ということと「未来は現在とは違う」ということだけだ。「ただし未来の予兆は必ずどこかに存在する」』実に言い得て妙である。

 長いスパンで過去を振り返った時、あらゆる状況を鑑みて「現在がいつの時点でその予兆があったか・・・・」を記憶の糸を手繰り寄せながら辿ってゆくと、確かに過去に無意識に行っていたことが、その後を大きく左右するキッカケになっている場合が多々ある。

 振り返ると誰しも岐路に立たされて結論を出した場合があろうと思うが、ほとんどの場合、手なりの中で自ら無意識に選択している場合が多いことに気が付くだろう。しかもその些細な選択の積み重ねが、その後の自分の人生に決定的な影響を及ぼしているケースが多い。

 意識・無意識を問わず、後々重要な結論に導かれたときは、不思議とキーになる方が必ずおられるものだ。そんなことを思いながら、来し方を思い起こすと、両親は別として、先輩・同期・後輩を問わず4〜5名の方の名前が思い浮かぶ。

 もしこの方々との出会いがなければ、良くも悪くも全く違った道に向かっているに違いないと思う方が、少なからずいるはずだ。その意味では、自分の周りで生じる出来事は、それなりの理由(わけ)があるに違いないと私は思う。
 
 長いスパンで振り返ると「人生に無駄なことは、ひとつだにない」とよく言われるが、なかなか含蓄のある言葉だと思う。また、長寿を全うされた方が言う「人生ならせば、みな同じ」という言葉は、全てを語っているのかもしれない。例えば禍福を人生に置き換えると、「人生は糾える縄の如し」。つまり禍も福も公平に混然一体になって、我が身に降りかかってくると思ったほうが妥当かもしれない。あとは、点で受け止めるか線で受け止めるかであろう。
posted by あうる at 14:42| Comment(0) | 来し方行く末

2022年01月20日