日本の「核兵器廃絶運動」の中心的存在だった坪井直さんが24日、96歳でお亡くなりになった。坪井さんは20歳だった1945年8月6日、広島市内で広島工業専門学校(現・広島大学工学部)に通学中に被爆され、全身に大やけどを負った。この日の原爆投下では、約14万人が死亡したという。その後、坪井さんは、人生を通して核廃絶の運動に献身的に取り組んで行く。
アメリカのバラク・オバマ氏が2016年、大統領として歴史的な広島訪問をし、坪井さんと面会した。第2次世界大戦の終盤、原爆は連合国が日本に反撃する中で投下された。その後に米大統領が広島を訪れるのは、オバマ氏が初めてだった。
核廃絶運動では、坪井さんは常に「ネバーギブアップ」と周囲に呼びかけてきた。原爆の被爆者は現在、広島と長崎を合わせ約12万7000人となっている。岸田総理は「核兵器のない世界の実現に向けて、坪井さんの思いを胸に刻みながら、前に進んでいく覚悟です」とした一方、坪井さんが求めていた「核兵器禁止条約」の参加については、明確にしていない。
「核兵器は、なかなかなくなりません。それでも、あきらめちゃぁいけない。ネバーギブアップです」と坪井さんの声が聞こえてくるようだ。
2021年10月30日
ネバ―ギブアップ
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| 歴史
2021年10月15日
電子書籍を追いかけて@
弊社が電子書籍に関わるきっかけになった経緯と、その後、どんな変化をもたらしたかを記してみたいと思う。話は、'90年代後半の東京ビッグサイト(東京国際展示場)で開催された「東京国際ブックフェア」を見学したころに遡る。4万人近く集客した会場には、すでに電子書籍のリーダーである日本製のディバイス展示コーナーがあった。当時の日本は、他国に先駆けて電子書籍リーダーのディバイス開発が進んでいたと思う。
そのころはまだ青空文庫(著作権が切れた漱石・鴎外・龍之介等の古典文学)を中心にソニー、パナソニック、東芝等々の電器メーカー作ったディバイスやパソコン上で電子書籍を読むことができた。が、会場では、ほとんど関心がもたれなかった。したがって2000年代には、メーカー側が電子書籍に対する将来性に期待しなくなったのか、画期的なディバイスは開発されなかったようだ。
そもそも日本における電子書籍は、多くの出版社から快く受け入れてもらえなかったというのが正直なところである。’90年代までの出版業界は右肩上がりできたため、編集者の多くは電子書籍など歯牙にもかけなかったのだろうと思う。しかし、予想をはるかの超えるスピードで、デジタル技術の躍進が進み、様々な分野で革命的な変革をもたらしてゆくことになる。
’90年代後半にWindows95が出現し、ITの普及が始まる。2000年代に入り、携帯保有率が上がり、PPCでWindowsが広く活用されるにつれ、「読書離れ、ペーパレス」が囁かれ、出版マーケットは急激に陰りが見え始める。その後、グーグルによる本のスキャン問題が表面化し、海外と日本との著作権のに対する考え方の違いが明確になり、デジタル化によって著作権問題は様々な分野で問題提起がなされたと言える。技術革新のスピードがドッグ・イヤー(犬の年齢が人間の4年に相当)と言われたころである。
2010年、日本でアップル社のアイパッドが販売されるや否や、電子書籍の話題は一気に加速し始めた。岩崎夏海著「もしドラ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネージメント』を読んだら」)が爆発的な話題を呼ぶ。当時たまたまネットで、私の目に留まった集英社の「もしドラ」担当者のセミナーを東京まで聴きに行かなかったら、私自身の電子書籍への関心はそう高くならなかったかもしれない。そのセミナーには、初代ボイジャーの社長も演者として来ておられたと記憶する。
正にこの2010年こそが、「電子書籍元年」と呼ばれたエポックメーキング年であり、マスメディアでは幕末の「黒船来航」に例えられ、それまで紙媒体中心だった出版社・新聞社等にとって衝撃的な年でもあった。ある意味で、日本は電子書籍に対する最初の食いつきは早かったが、マーケットを見いだせず、結果、アマゾンやアップル等に先を越されてしまった感がある。
4月にセミナーを聴き、6月にはモバイル・コンテンツを制作している友人から、弊社の絵本「おばけのマールとまるやまどうぶつえん」を電子書籍として共同開発しようとの連絡をいただいた。勿論、二つ返事でOK。その後は、相手の製作者とコンテンツを保有する弊社の原作者とイラストレーターらが、何度も打ち合わせを繰り返し、9月に2か国語で、動物の鳴き声や動く仕掛けもあるナレーション(2か国語)入りの所謂、リッチコンテンツの電子絵本として世界に向け発信することになる。
今思えば、偶然が重なったとはいえ、道内初の「電子書籍の誕生」である。マスメディア等で大きく取り上げられ、弊社の出版の方向づけにも大きな影響を与えた出来事だった。その後、2011年には、札幌の出版社4社の協力を得て電子書籍ネットストアー「ブック・ネット北海道」を立ち上げることになる。
そのころはまだ青空文庫(著作権が切れた漱石・鴎外・龍之介等の古典文学)を中心にソニー、パナソニック、東芝等々の電器メーカー作ったディバイスやパソコン上で電子書籍を読むことができた。が、会場では、ほとんど関心がもたれなかった。したがって2000年代には、メーカー側が電子書籍に対する将来性に期待しなくなったのか、画期的なディバイスは開発されなかったようだ。
そもそも日本における電子書籍は、多くの出版社から快く受け入れてもらえなかったというのが正直なところである。’90年代までの出版業界は右肩上がりできたため、編集者の多くは電子書籍など歯牙にもかけなかったのだろうと思う。しかし、予想をはるかの超えるスピードで、デジタル技術の躍進が進み、様々な分野で革命的な変革をもたらしてゆくことになる。
’90年代後半にWindows95が出現し、ITの普及が始まる。2000年代に入り、携帯保有率が上がり、PPCでWindowsが広く活用されるにつれ、「読書離れ、ペーパレス」が囁かれ、出版マーケットは急激に陰りが見え始める。その後、グーグルによる本のスキャン問題が表面化し、海外と日本との著作権のに対する考え方の違いが明確になり、デジタル化によって著作権問題は様々な分野で問題提起がなされたと言える。技術革新のスピードがドッグ・イヤー(犬の年齢が人間の4年に相当)と言われたころである。
2010年、日本でアップル社のアイパッドが販売されるや否や、電子書籍の話題は一気に加速し始めた。岩崎夏海著「もしドラ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネージメント』を読んだら」)が爆発的な話題を呼ぶ。当時たまたまネットで、私の目に留まった集英社の「もしドラ」担当者のセミナーを東京まで聴きに行かなかったら、私自身の電子書籍への関心はそう高くならなかったかもしれない。そのセミナーには、初代ボイジャーの社長も演者として来ておられたと記憶する。
正にこの2010年こそが、「電子書籍元年」と呼ばれたエポックメーキング年であり、マスメディアでは幕末の「黒船来航」に例えられ、それまで紙媒体中心だった出版社・新聞社等にとって衝撃的な年でもあった。ある意味で、日本は電子書籍に対する最初の食いつきは早かったが、マーケットを見いだせず、結果、アマゾンやアップル等に先を越されてしまった感がある。
4月にセミナーを聴き、6月にはモバイル・コンテンツを制作している友人から、弊社の絵本「おばけのマールとまるやまどうぶつえん」を電子書籍として共同開発しようとの連絡をいただいた。勿論、二つ返事でOK。その後は、相手の製作者とコンテンツを保有する弊社の原作者とイラストレーターらが、何度も打ち合わせを繰り返し、9月に2か国語で、動物の鳴き声や動く仕掛けもあるナレーション(2か国語)入りの所謂、リッチコンテンツの電子絵本として世界に向け発信することになる。
今思えば、偶然が重なったとはいえ、道内初の「電子書籍の誕生」である。マスメディア等で大きく取り上げられ、弊社の出版の方向づけにも大きな影響を与えた出来事だった。その後、2011年には、札幌の出版社4社の協力を得て電子書籍ネットストアー「ブック・ネット北海道」を立ち上げることになる。
posted by あうる at 15:37| Comment(0)
| 印刷・出版
2021年10月04日
新内閣発足
岸田内閣が今日、発足する。副総理は麻生太郎。党三役と呼ばれる幹事長は、甘利明(麻生派)、総務会長は福田達夫(安倍派)、政務調査会長に高市早苗(無派閥?安倍派)と結果的に麻生・安倍派が牛耳る内閣構造になったわけだ。
新内閣の顔ぶれは、麻生派から3名。細田派(安倍派)から4名。二階歯2名。岸田派2名。旧竹下派は3名。これらの顔ぶれを見る限り、内閣の構成人事は、究極の派閥への忖度であり、総裁選の論功行賞人事とか、派閥人事とか自民党の内外から言われる所以であろう。
このメンバーから見ても、実質的に陰で権力を動かすのは、麻生派で、2番手が安倍派と云うことだろう。中心閣僚の多くは2世議員であり、「総理大臣を家業」と勘違いしている議員がかくも多く存在するわけだ。あらためてその事実を知ると、血縁闘争や政略結婚は、半ば当たり前だということもわかる。権力を握るための構造は、我々庶民が思いつかないほど強かなのである。
そういった意味では、一代で築き上げた田中角栄は、やはり類まれな政治家だったということになる。短命で終わったものの、菅前首相にしても、横浜市議から代議士になるまでの道のりは、他の2世議員に比べれば、はるかに険しいものだったに違いない。
新内閣の顔ぶれは、麻生派から3名。細田派(安倍派)から4名。二階歯2名。岸田派2名。旧竹下派は3名。これらの顔ぶれを見る限り、内閣の構成人事は、究極の派閥への忖度であり、総裁選の論功行賞人事とか、派閥人事とか自民党の内外から言われる所以であろう。
このメンバーから見ても、実質的に陰で権力を動かすのは、麻生派で、2番手が安倍派と云うことだろう。中心閣僚の多くは2世議員であり、「総理大臣を家業」と勘違いしている議員がかくも多く存在するわけだ。あらためてその事実を知ると、血縁闘争や政略結婚は、半ば当たり前だということもわかる。権力を握るための構造は、我々庶民が思いつかないほど強かなのである。
そういった意味では、一代で築き上げた田中角栄は、やはり類まれな政治家だったということになる。短命で終わったものの、菅前首相にしても、横浜市議から代議士になるまでの道のりは、他の2世議員に比べれば、はるかに険しいものだったに違いない。
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| 政治