2017年01月31日

グローカル

 正月明けの仕事始め以来、お客様の挨拶回り、様々な新年会等々で明け暮れ、今月は慌ただしく過ぎた。弊社にとって1月は新年度のスタートの月でもあり、極めて大事な月である。今年はどの新年会に行っても、冒頭の挨拶はもっぱらトランプ新政権の話題一色。そうこうするうちに1月最終日である今日に至った。
 トランプ新政権の政策発表後は、米国内はデモが続発。米国に向かう海外の空港は混乱状態。海外の首脳からは批判の嵐。政治・経済にかなりの悪影響が出ると予想され、近年にない不安が多い年明けとなった。
 ’90年代にもてはやされたグローバリゼーションは、一部ではアメリカニゼイションと揶揄され、新自由主義の台頭をもたらし、2000年代に至っては日本の小泉内閣の構造改造論(民営改革、不良債権処理等々)とつながってゆく。
 小泉政権時代の国会での劇場中継(?)により「パラダイムシフト」「官から民へ」「中央から地方へ」等々、今思えば様々なレトリックやロジックが繰り広げられ、日本中が翻弄された感もあった。あれは一種のポピュリズムではなかったか・・・・。
 ところでトランプ大統領のポピュリズム、反グローバル化!? 保護主義!?を非難ばかりしていられない。小国であろうが大国であろうが、自国の国益優先は自明の理である。本音を言えば、一般論として所詮、ローカリズム(地域主義 右矢印1 地域最優先)に帰結するのではないか・・・・と思う。
 ただし目先の利益を追うばかりではなく、地球規模で考える問題(環境・医療・人種・宗教等々)や国・地域で考える問題の中から、最優先事項は何か・・・・、つまり「何をFirstとするか・・・」をじっくり考えてみる必要がある。その答えは現在、今のところ誰も明言できない。
 いずれにしても昨年あたりから耳にする新造語、「グローカル」(グローバルとローカル・・・地球規模の視野で考え、地域視点で行動する。)の意味をもう一度考えてみたい。
posted by あうる at 14:35| Comment(0) | 地域

2017年01月27日

新聞絶滅期予想!?

 オーストラリアの未来学者ロス・ドーソンは、2010年(所謂、電子書籍元年)「新聞絶滅タイムライン」つまり国民が紙の新聞を読まなくなる時期を国別に発表した。
 もっともその時期が早く来るのは、アメリカで2017年今年である。次にイギリス、アイスランドが19年。カナダ・ノルウェーが20年。韓国・ロシアが26年。ドイツ・エストニアは30年。日本は中国の都市部と同じ31年という予想である。そして全世界は2040年までに神の新聞が絶滅するというのである。
 その要因は様々で、特に携帯電話やタブレット、電子リーダー等々のコストパ−フォーマンスの増大よるところが大きいと言われている。いずれにしても各国の読者の選択によるわけだが、5年ほど前に米国の大手誌「ニューズウィーク」が、当時、200万部の発行部数を発行していたが、2012年に国内版完全電子化を行って話題になった。が、しかし1年後に紙版の復活。今では10万部の発行をしているという。
 仮に端末の普及がかなり高まったとしても、速報性以外の付加価値を味付けできる雑誌であれば、それなりの部数を確保できるのではないかと私は思う。となると記者・取材スタッフの優秀な人材が要求されるであろうが・・・・。
 いずれにしても日本の紙の新聞絶滅予想期が14年後と、他の先進国に比べはるかに遅い理由は、宅配制度による購読収入と広告収入のバランスの良さと、基本的に日本人の文字・活字や紙文化へのこだわりが強いことであろうと思う。やはり、いい意味でも悪い意味でも日本人は他国にはない価値観を持つ人種なのだと思う。
 とはいっても一部、新聞を読まない世代が出てきたようだし、本も読まない、手紙も書かない世代を増えているようだ。ただし5年前に話題を呼んだ電子書籍は世界各国で思うような成果は上がっていないのも事実である。最近ではウエブでのマーケティングより紙によるマーケティンの信頼性が増しているとの話も聞く。
 「印刷回帰」などと熱っぽく語るその筋の方もおられるが、それなりの根拠はあると思う。回帰現象が怪奇現象ににならないことを祈って、頑張るしかないか・・・・。
 
posted by あうる at 08:46| Comment(0) | 来し方行く末

2017年01月23日

優勝、おめでとう!稀勢の里。

 この一年余りで、琴奨菊、豪栄道、稀勢の里と日本人3大関の優勝が決まった。特に稀勢の里に関しては、10代から大器と目され、その後、大関になってからも何度も優勝のチャンスを得ながら、ことごとくモノにできないまま2大関に先を越された。
 とにかく取りこぼしの多い大関である。横綱・大関等の強い相手には、互角以上の星を残しながら、下位の力士やここ一番がかかると、その負け方が無残なくらいもろいのだ。大関になってどれだけ期待を裏切られたか・・・・、私だけではあるまい。
 これほどまで期待に応えられない稀勢の里だが、なぜか憎めない風貌と所作の力士である。それ故に、期待を裏切り続けてもファンは後押ししてくれる。判官びいきもあろが、ここ10数年、激しいモンゴル相撲の影響もあって、荒々しい張り手や肘うちまがいの手法で、カチをもぎ取る相撲は、やはり品位に欠ける。
 そんな中、稀勢の里のあの「ドヤ顔」は愛嬌たっぷりだし、相撲の取り口は相手にもあり品格を感じさせてくれる。恐らく勝負の世界では珍しいほど内面的な優しさの持ち主なのかもしれない。それ故に本人をよく知る地元ファンは勿論、身近にいる周囲の方々や報道関係者にも支援が広がり、幅広い支持を受けているのであろう。 
 今回、体調不十分でテレビ解説ができなかった北の富士は、自称「稀勢の里を横綱にする会」の会長であるそうだし、解説者の前の海は副会長とのこと。このお二方も認める実力を持ちながら、二人の大関に優勝を先行されてしまったことを彼らは歯がゆい思いで見ていたに違いない。
 「神様は稀勢の里に、随分長い間、試練をお与えになった」と前の海は言っていたが、さて、その試練の意味は、なんであろうか・・・・。今後、横綱・稀勢の里の土俵での雄姿が、そのすべてを語ってくれるだろう。いよいよ19年ぶりの日本人横綱の誕生が目前だ。


posted by あうる at 11:29| Comment(0) | スポーツ