2017年03月27日

彷徨える遺骨!?

 最近「無葬社会」という言葉を耳にする。先日、日経で「無葬社会」についての特集が組まれており、関連の本も多数出ている。少子高齢化が益々明確になり始め、あと10年以内に多死の時代を迎えるというのだ。したがって葬儀の仕方も墓の在り方も全く変わってくるようだ。
 誰もが仏様を粗末にしたいとは思っていないであろうが、都会での一人暮らしの高齢者の中には地縁・血縁のないまま、死を迎える人が少なくない。その数、2030年には2700万人に達するだろうと言われている。
 現実問題として「火葬待ち」「遺骨の行方」についても、しかるべきところでは処理できない状態になっているという。加えて業者頼みの簡略化された葬儀が、血縁を弔うことの希薄さにますます拍車をかける。決して死を軽々しく思っているわけではないと思うが、それなりの葬儀の手続きを踏むとなると、時間もお金もかかる。
 将来の不安にさいなまれる世代にとっては、葬儀代や墓を建て維持することは、大きな負担である。かつては身内の葬送や一族の墓守は、当たり前のように長男がその役割の多くをこなしてきたが、少子化と更なる高齢化でひと家族にかかる負担が大きくなってきた。
 東日本大震災以来、地縁・血縁の絆がかなり問題視され、地域における絆回復の兆しも見え始める一方で、都会の水面下では猛スピードで高齢化が始まり、骨壺が電車の荷台に置きに忘れ去られたように放置されたり、引越しした人の押し入れの中から骨壺が出てきたり、行き場の失った遺骨が彷徨い始めているのだ。
posted by あうる at 17:27| Comment(0) | 冠婚葬祭

2017年03月24日

春の彼岸の墓参り。

 春の彼岸には、ここ数年必ず墓参りに行っている。場所は藻岩山の中腹にある北海御廟。昨年は墓標の雪は解けていたものの、燭台は雪に埋もれており、手で堀り返した記憶がある。今年は若干の懸念はあったが、街中の雪解け振りから云って、墓参りに影響はあるまいと私自身は高を括っていた。それでも女房の主張に従い、長靴とスコップをふたつ車に積んだ。
 現場は女房の予想通り雪解けが進んでおらず、墓のある中腹まで道らしき道もない。ずぼずぼと埋まり少しずつ踏み固めながら、ようやく我が家の墓がある通りに辿り着く。一面の雪に正確な我が家の墓に位置が分から、しばし周囲の風景から目星を付け、雪を掻き始めること20分。「お父さん、ここで間違いない!」女房の確信に満ちた声。雪の中から黒い墓標が現れた。

2017.3_n_R.jpg お墓参り1_n_R.jpg 2お墓参りn_R.jpg 3お墓参り_R.jpg 4お墓参り_R.jpg

 
posted by あうる at 15:16| Comment(0) | 四季折々

2017年03月16日

明るく前向きに・・・・。

 年のせいだろうか・・・・、あるいはまた時代背景や自分中心の生活のリズムがそうさせていたのだろうか・・・・。最近、かつてお付き合いのあった方々やお世話になった諸先輩にお会いすると、懐かしく思う反面、皮相に流れたお付き合いをしてきたことへ妙に自責の念に駆られたりすることが多い。決して不義理をしてきたわけではないが、やはり思うようにならなかったというのが人の世の常なのか・・・と思いつつ、自省自戒している。
 先日、50年来の友人とお茶をすすりながら、来し方行く末を思いめぐらすと、やはり60半ばも過ぎると良くも悪くもそれなりに人生、帳尻が合うもんだということで一致した。楽あれば、苦もあるし、朝が来ない夜はない。そうした自然の現象と相まって、人それぞれの努力と研鑽や無欲な奉仕が目に見えない無形の喜びをもたらしてくれることもある。
 何事も善意に解釈することは、私のような凡人には難しいことだが、明るく前向きに心がける気持ちだけは、どんな状況でも忘れないようにしたいものだと思っている。
posted by あうる at 16:13| Comment(0) | 来し方行く末