2019年02月17日

三寒四温!?

 今年の2月ほど、「三寒四温」という言葉を身をもって感じた年はない。札幌では1月下旬から2月の初旬に終日−10〜−15℃という記録的な寒波に襲われた。辞書によると3日寒い日が続き、4日暖かい日がやってくる。これを7日単位で繰り返し、春が訪れるということらしい。つい最近まで京都の代表的な春先の気候を表す季節用語だと思っていた。勿論、寒さの基準は違うが、札幌でも日中でも−10℃が続くのは、40年ぶりとのこと。
 そういえば節分も立春もほぼ同じ時期だが、俳句の季語では晩冬と初春。三寒四温は晩冬ということになる。今年は、厳冬の真っただ中の1月26日にインフルエンザにかかり、翌日には女房に移してしまい、1週間ばかり会社を休んでしまった。幸い私以外インフルエンザ患った社員がいなかったのでホッとしている。
 暦の上ではとうに春は来ているのだが、北国の場合はそうは問屋は卸さない。晩冬である三寒四温が暫く続く。北国の冬は11月ころから始まり、雪が融ける4月までは冬季ということになる。長い冬が過ぎると、温かな春が待ち受けており、ある意味でそれを楽しみにしている人も多い。特にゴルフ好きの方々には、待望のゴルフ場のオープンがある。
 そうは言うものの、私の場合、春先には嫌な思い出は山のようにあるが、良い思い出が少ない。暖かさは嬉しいが、3〜5月は妙に気持ちは晴れない。過去に嫌なことばかりが集中している季節なのだから・・・・。
posted by あうる at 17:23| Comment(0) | 四季折々

2019年02月15日

社長の雑記帳


posted by あうる at 19:01| Comment(0) | 来し方行く末

2019年02月11日

渋谷並木橋は半世紀たった今も生きている。(2)

 待ち合わせの17:30少し前に見覚えのある顔がぽつらぽつらと現れ始めた。かつて久保谷寛氏が中心になって渋谷並木橋の東々(トントン)という麻雀荘で「渋谷若獅子戦」という競技麻雀のリーグ戦を結成し、プロを目指す若手を集めたころのメンバーたちだ。
 上京した際に何度か会っていた同世代の仲間もいるが、40数年ぶりに会う後輩もおり、当時を思い起こすと妙に感慨めいたものが込み上げてくる。同世代で早くに亡くなった方々が4〜5人はいる。当日来られた多くは麻雀ジャーナリズムの世界に身を置き、日本最大の連盟組織(競技麻雀)の中心にいる伊藤優孝氏、独自の視点で健康麻雀協会を興し、出版物・ゲームソフト等々で100点を超えている東大出身の井出洋介氏らも集まってくれた。忙しい時間を割いて来ていただいただけに、ありがたい。
 思えば、’60年代後半に「麻雀放浪記」でおなじみの麻雀の神様・阿左田哲也氏(後の直木賞作家)がの麻雀新選組を結成。小島武夫・古川凱章・田村光明・青柳賢治らのメンバーが加わり、’70年代に向けて「近代麻雀」という雑誌を取り巻く麻雀ジャーナリズムの世界を盛り上げていった麻雀新選組は、所謂あの時代のエポックメーカーだったことは言うまでもない。あの頃からすでに半世紀すぎてしまったのだ。今振り返っても夢の間の出来事だ。
 当時28歳で、新宿ナンバーワンの麻雀の打ち手として週刊誌のブラビアに紹介されたタミーラこと、田村光明氏以外の麻雀新選組のメンバー4名は皆故人となった。私にとって田村氏は大学の先輩というだけではなく、当時「覇道より王道(孟子)」という言葉の意味を教えてくれた方で、その貴重な言葉を今でも私の座右の銘としている。’70年代は個人的には、物心両面で大変お世話になった方である。彼の書いた「麻雀ブルース」はベストセラーとなり、私を含めて当時の鬱屈した若者たちの心をつかんだ。
 さて、’70年代半ばに久保谷氏が中心となり結成した「渋谷若獅子戦」は、間違いなくその後の若手台頭に大きな役割を果たしたと思う。今回、参加された井出氏は東大の学生だったし、現在井出氏と行動を共にする高見沢氏は、日大生。岡田氏は早稲田の学生だった。そのほかにも多種多様な方々が参加していた。
 いづれにしても、今回会うキッカケを作ってくれた久保谷氏からの1通のメールに感謝したい。機会あれば、今回会ったメンバーは勿論、都合がつかず来れなかった方々を含め、渋谷並木橋の一時代を共有した仲間として、お互い元気なうちに再会したいものだ。

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posted by あうる at 16:12| Comment(0) | '70年代